皆様こんにちは。
札幌市議会議員 ふじわら広昭です。
今回は400年前の遺伝子に思いを寄せて、創業400年以上の酒店とお酒の話です。
《創業429年の酒屋・豊島屋本店》
初代・豊島屋十右衛門は1596(慶長元)年に創業後、関西から仕入れた酒をなんとほぼ原価で売ったと言われています。
当時、関東に国替えになった徳川家康が江戸城の拡張を進めており、城の普請に集まった武士、職人、資材を取引する商人などで一杯飲み屋は、さぞかし賑わったと思います。
《原価販売には、儲けを生む仕掛けが》
空いた酒樽は物入れや腰掛など再利用の用途は広く、初代は空き樽を売っていました。酒が売れれば売れるほど利益を得たとのこと。その数は半端ではなかったと言われています。
また、初代は「白酒」の考案者といわれています。
《明治維新により商売に暗雲》
当時は「後払いの掛売り」であったため、豊島屋も明治維新により武士が没落したことで、代金の取りはぐれで苦境に陥りました。
当主は再建するために、それまで扱っていた醤油をみりんや酒と合せ「蕎屋」の販路を開拓しました。現在も多くの蕎屋との取引があるとのことです。
また、灘の酒蔵に委託し酒の製造を始め、後に独自の酒蔵をつくりました。その酒「金婚」は今も豊島屋の看板商品となっています。
《豊島屋の遺伝子》
現在の社長は16代目で半導体技術者の経歴を持っています。
「まちおこし」のため東京蒲田地域の酒販店と共同開発した長期低温醗酵の純米吟醸酒「羽田」(日本酒度+1)を商品化しています。
この他に「屋守(おくのかみ)」純米無調整、同純米吟醸も飲んでみたい一杯です。
豊島屋初代・十右衛門はいかにリピーター客を増やすか知恵を絞り、価格で「呑べい」を、白酒で「女性」の心をつかんだといわれています。
その遺伝子は、幕末の動乱期や時代の変遷に伴う豊島屋の危機を乗り切る力となり、現在も脈々と引き継がれています。
そんなことを口実に十右衛門の遺伝子が活かされた日本酒「金婚」「羽田」「屋守」を飲み、英気を養うため短い秋の夜長を楽しめればと思う毎日です。