2025年8月20日水曜日

第42代内閣総理大臣・鈴木貫太郎について

皆様こんにちは。
札幌市議会議員ふじわら広昭です。

今回はポツダム宣言の受諾を決めた《第42代内閣総理大臣・鈴木貫太郎》です。

鈴木貫太郎は天皇の聖断を仰ぐという超法規的な手段でポツダム宣言の受諾を決め、昭和の戦争を終結させた首相です。

鈴木は長きにわたり侍従武官長を務め、昭和天皇から厚い信頼を得ていたと言われています。

鈴木首相が戦争終結を諦め、内閣を放り出して辞めていたら、日本の戦後史はどのようになっていたのでしょうか。


〈鈴木貫太郎の生い立ち〉

鈴木貫太郎 1867(慶応3)年大阪生まれ

家系は関宿藩(現・千葉県野田市)の藩士で、幕末当時同藩の藩主は大阪代官で鈴木家も大阪に在住していました。

関宿藩は幕府直系なので、会津・桑名・庄内・長岡等の藩同様明治政府では賊軍として扱われました。


〈明治新政府の軍事組織とその後〉

軍隊を創設するにあたって重要な役割を発揮したのは、陸軍は薩摩・長州、海軍は薩摩・肥前(佐賀)を中心に進められましたが、その後は陸軍が長州、海軍は薩摩が主流となりました。


〈海軍兵学校への入学〉

鈴木の父は息子も賊軍として扱われるので官吏には進めないことが分かっており、医者にしようと思っていました。しかし、医者になるにもお金がかかるので、貫太郎はお金の心配がない海軍兵学校に入学しました。


〈海軍の配属先〉

卒業時は46人中13番の成績でしたが、賊軍として扱われたため、配属先は水雷戦隊でした。


〈不公平な人事への不満〉

鈴木は1903(明治36)年海軍中佐になりましたが、海軍は薩摩閥のため不公平な人事に不満を持ち、辞めようと決意します。しかし、父に諭されて翻意しました。


〈海軍における功績〉

日露戦争の直前、海軍は当時の最新鋭巡洋艦2隻をアルゼンチンから買うことになりました。鈴木はイギリスから同艦を日本まで回航する責任者となり無事任務を果たしますが、再び水雷戦隊に戻されてしまいます。

日露戦争で鈴木は水雷戦隊の司令として駆逐艦に乗って功績を上げています。


〈海軍省次官としての毅然とした決断〉

日露戦争後に海軍の艦艇発注で海軍将校の汚職事件が発覚しました。

事件発覚当時、鈴木は海軍の人事局長でした。汚職事件の真相究明をするために正直一途な鈴木が海軍省次官となり、八代文郎海軍大臣と共に海軍全体に衝撃を与えるほど毅然とした処分を実行しました。


〈昭和の海軍の派閥抗争〉

1930(昭和5)年のロンドン軍縮条約をめぐり、海軍では艦隊派(軍縮に反対)と条約派(国際協調と財政的な現実路線重視)の抗争が激化していきます。

艦隊派は艦艇発注汚職で一掃された薩摩閥の復権を目指していました。


〈侍従武官長就任〉

鈴木貫太郎はその後、連合艦隊司令長官、1925(大正14)年に海軍・軍令部長歴任後、予備役に編入し侍従武官長兼枢密顧問に就任しました。

先のロンドン海軍軍縮条約締結に反対する艦隊派の幹部が天皇に条約破棄を上奏しようとしたとき、侍従武官長の鈴木が上奏を阻止しました。それにより、後の二・二六事件の暗殺対象者になりましたが、一命を取り留めています。


〈なぜ聖断を必要としたのか〉

ポツダム宣言を受諾するかどうかで、賛否は3対3となり、鈴木首相が賛成していれば4対3で決まりでした。

しかし、鈴木首相は数で押し切れば徹底抗戦派の中からテロが起こることを推測していたのではないでしょうか。

鈴木首相は自分の意見を言わず天皇に判断を仰ぐ「聖断」、すなわち「天皇御自らの決断を仰ぐ」決断をしていたと思われます。

明治維新で薩摩・長州が主体となって作った国家制度では、天皇には統治の最高責任者という立憲君主の面と陸海軍の最高責任者という大元帥としての面の2つの役割がありました。

立憲君主としての天皇は対米戦争に最初から反対しており、始まってからは戦争を早く終わらせたいと考えていたと言われています。

一人の天皇に背負わされた2つの責任の間で矛盾が生じていたと言えます。

鈴木首相は終戦のために、あえて憲法に違反して天皇に国の進むべき道を決めてもらう奇策を使わざるを得なかったのは、国家の制度に矛盾があることをいち早く気づいていたのではないでしょうか。

「天皇に政治責任を負わせることになる」、このような苦しい理屈を付けなければ薩摩・長州閥が作った矛盾を乗り越えて戦争を止めることができなかったと言えます。


今年は終戦から80周年の節目の年。

あらためて、鈴木貫太郎(元)首相の英断を高く評価し敬意を表したいと思います。

夏目漱石は『吾輩は猫である』の中で以下のように書いています。

すべての大事件の前に必ず小事件が起こるものだ。
大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥る弊竇(へいとう=欠陥)である。

私はこれからも一市民として、漱石のこの語りを大切にして物事を捉えていきたい所存です。